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ひとり言 バックナンバー 9

Contents

Scene41 カート時代のアイルトン

Scene42 F1開幕戦の感想  

Scene43 ホンダが勝利した日

Scene44 サーキットの香り

Scene45 緊張の素は?


Scene41 カート時代のアイルトン

94年サンマリノGPのクラッシュでこの世を去り伝説のドライバーとなったアイルトン・セナ・ダ・シルバ。彼を知ることがなかったら私もレーシングカートに興味を持つことはなかっただろうと思っています。中嶋悟エピソードを調べてゆくうちカート時代のセナについても簡単にまとめたいと思い今回のテーマにしました。

1960年3月21日サンパウロで生まれたアイルトンは4歳の誕生日に手作りのカートを手にする。その数年後にはエンジンつきカートを手に入れたが近所の広場で乗り回したためサッカー少年達には嫌われ者だったらしい。小学校での成績は決して誉められたものでなく良く廊下に立たされる生徒≠セったようだ。

12歳になったアイルトンは父と共に、過去ブラジル選手権・南米選手権・世界選手権優勝の実績をもつ有名なエンジンチューナー ルシオ・パスコアール・ガスコンのガレージを訪ねた。無口な少年だったアイルトンはガスコンに初めて会ったときから真剣な眼差しをしていてガスコンの言葉は一言も聞き逃すまいという姿勢だったという。

ガスコンの元で練習を重ねたアイルトンは、1973年7月10日インテルラゴス・サーキットでカート初優勝を挙げた。当時のアイルトンのことをガスコンは「ステアリングを持つと人格が変わった。いい意味での二重人格だった。走り出すと才能がキラキラ光る。そしてどんなに名の知れた相手でも真っ向から勝負していった。だけどとても冷静なんだ。周りの子たちとは仲良くって感じではなかったな。彼はいつもひとりで黙々と作業していたからね。話かけられれば丁寧に答えていたがアイルトンと連中のやり取りは病気のことを聞いた子供に対して医者が同業者に話すようで≠ヌうしても浮いた存在だったな」

連戦連勝を続けたアイルトンだったが当時は名前よりもゼッケンナンバー42番≠ニ呼ばれていたようだ。ブラジルのカート界で42番≠ヘ日本で言う栄光の背番号3≠ニ同じほどだという。

アイルトンは独りでマシンの仕組みやセッティングに取り組み、疑問があるとすぐにガスコンに質問しては自分を成長させていった。またレースでミスした後は練習で同じ状況を作り徹底的に検証して二度と同じミスをしないようにしていたという。「走る準備をたっぷりして走り出したら勝つこと以外考えないそれが彼のスタイルさ」

アイルトンの勝負にかける気持ちはかなり強く、前のマシンが中途半端にインを開ければクラッシュもいとわず飛び込んでいったという。アイルトンが意識していたかは不明だがアイルトンをブロックするとクラッシュする≠ニいう風評が次第に広まったという。

アイルトン・セナ・ダ・シルバという名前が有名になったのは77年南米選手権に勝ったころからだが、影にはアイルトンの戦略があった。カートレースの次の日には地元の新聞に昨日のレース結果や自分のニュースを持ちこんでいたのだ。最初は相手にしてもらえず記事にもならなかったが、編集部員と顔見知りとなってゆくうち新聞にアイルトンの記事が載るようになり次第に読者もアイルトンの名前を覚えていったのだ。

DAPというイタリアのメーカーのワークスドライバーとしてヨーロッパでレース活動をすることとなったアイルトンだったがファーストドライバーにはテリー・フラートンというベテラン選手がいたので満足ゆく待遇は受けられなかったようだ。そんな中でもワールドカップではポールポジションを獲得するなど速さを見せていた。

アイルトンはDAPの一員として日本にも来ている。ワールドカップ活躍のご褒美にジャパン・カートGPに参戦したのだ。当時のアイルトンは英語もあまり話せず独り黙々と自分のマシンを整備していたという。チームはフラートンにかかりきりでアイルトンはカヤの外という状態。見かねた記者が押しがけを手伝う場面もあったという。そんな逆境をものともせずアイルトンは4位入賞を果たす。その走りは17歳の無口な少年と思えぬ速さで、わずかな隙間があれば神業とも思えるマシンコントロールでインに飛び込み順位を上げていったという。

比較的裕福で恵まれた家に生まれたアイルトンですが、カートからF1までチャンピオンを獲得していった影には私達には見えない苦悩や努力があったようです。

参考資料 「グッバイ、マヨネーズボーイ」山田登一郎 AUTO SPORT、 「天才の光と影 アイルトン・セナ」 GPX

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Scene42 F1開幕戦の感想

今年もセーフティカー明けの後マクラーレンの2台がエンジンブローで消え速さと信頼性は表裏一体≠感じさせ、対するフェラーリがそこそこの速さと信頼性でワンツーフィニッシュを飾ったオーストラリアGP。

TVではHONDAのポイントゲットを大きく称えていました。そのことを含めジャック・ビルニューブを先頭にCARTを思わせるLapを展開した4〜7番手の僅差の戦いが楽しめました。また、その中で結果失格にはなりましたがミカ・サロのコーナリングは傍から見ていても解かるほど大きくアクションをつけステアリングを切りこんでいたのを見てF1がカートに近い≠ニいうことを再認識しました。

レースではミカ・サロに抜かれ順位を落としたBARのリカルド・ゾンタは昨年ビルニューブとともにオールージュ(ベルギーGP)で大クラッシュを演じたドライバーですが、昨年を見たかきりではどんなドライバーか見当がつかなかったのですが開幕戦を見た印象はクレバーな走りができるドライバーだと感じました。(16番スタートから6位入賞)

期待に反したのはジャガー、ジョーダンそしてアロウズでした。ジャガーはジョーダンと共に優勝も狙えるセカンドグループでしたがアクシデントで戦列を去ってしまったので残念でした。開幕前から意外な速さを見せていたのがアロウズで大手スポンサーもついた影響か予選12、13番手を獲得虎之助の心を揺さぶる@\選結果かなと思いました。

つい数年前にはカートで活躍していたジェイソン・バトン(ウイリアムズBMW)がいい走りをしていたのは見ていて頼もしい気持ちになりました。Scene29の中でも触れていますがF3とはいえレース回数がF1より多いのでレース感覚は研ぎ澄まされていると思います。マシンさえ自分のコントロール下に納めればかなりいい結果が期待できると思います。

オーストラリアGPは決勝より予選の方が見所があったかもしれません。スリッピーな路面にスピン、コースアウトが続出しM・シューマッハがクラッシュしたり、予選タイムアタック終了間際にM・シューマッハのアタックラップをフイにするD・クルサードのクラッシュがあったりしました。 

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Scene43 ホンダが勝利した日


2000年オーストラリアGPで4位、6位とW入賞し復活を果たしたホンダ。優勝もそう遠くない気がします。今回は過去にホンダが記念すべき勝利を挙げた1984年を振り返ってみたいと思います。

84年はセナがトールマンからGPデビューした年で、ニキ・ラウダとアラン・プロストがマクラーレン、ミケーレ・アルボレートとルネ・アルヌーがフェラーリ、ナイジェル・マンセルとエリオ・デ・アンジェリスがロータス、そしてケケ・ロズベルグとジャック・ラフィーがウイリアムズ・ホンダ(当時ホンダの現場チーフは川本信彦氏)でした。

7月、GPサーカスは初開催コースとなるアメリカのダラスに到着。舞台となったフェアウェイ・サーキットは数週間前にようやく完成したサーキットで真夏の暑さも加わってマシンが走行するとたちまち路面がはがれコースはデコボコになってしまった。コースコンディションの悪化にともないクラッシュが続出、アメリカでは定番のエスケープゾーンのないコンクリートウォールへの接触でマシンのパーツが飛び散ることとなった。当然ドライバーからは不満の声が上がり「不参加も辞さない」との発言は主催者を悩ませた。

最悪の路面状況となったGPで主役になろうと気を吐いたのはナイジェル・マンセルだった。マンセルはエリオ・デ・アンジェリス中心のロータス内での立場を変えようと奮闘しポールポジションを獲得する。当時のロータスは黒いマシンに金色でJPSの文字が入っていたのだが、関係者は黒いマシン同士がコースでぶつけ合うのではないかと噂していた。

主催者側は徹夜で路面の補修にあたりなんとか開催にこぎつけたものの、決勝当日のフリー走行はキャンセルされ決勝を行うか議論が続いていた。この議論に終止符を打ったのはニキ・ラウダで10周のフリー走行を行い決勝をスタートすることで全員の合意をとりつけた。

決勝グリッドにマシンが並んだが多くのドライバーは「レースは途中で打ち切りになる」と思っていた。グリーンシグナルが点灯し決勝がスタート、PPのマンセルを先頭にアンジェリス、ディレック・ワーウィック(ルノー)らが1コーナーへ飛び込んだ。コースはレーシングラインをはずすと小石が散乱していて滑りやすく、オープニングラップでセナがスピンして最後尾となる。

「レースは途中で打ち切りになる」と思っていたワーウィックが猛然とアンジェリスに襲いかかり2位となりマンセルを追走。ついにはマンセルに追いつきアウト側から抜きにかかったがコントロールを失いスピンして戦列を去った。その後アラン・プロストが浮上するがリタイヤとなる。

次にマンセルに迫ったのは予選8番手のケケ・ロズベルグであったが彼の使用するホンダV6ターボは開発初期にありマシンとの相性もあってか信頼性とトルクカーブに不安があった。ホンダにとってアメリカは重要かつ大きな市場であり、できればここで結果を残したいという思いは強かった。

マンセルに追いついたロズベルグは何度もコーナーで並びかけるがマンセルもギリギリまでブレーキングを遅らせて対抗する。激しいバトルが続いたがロズベルグの方にアドバンテージがあった。彼はスタートに際し暑さ対策として水冷のクールキャップをヘルメットに装備、ドリンクの準備も怠りなかったのだ。

マンセルの走りに怒りの拳を上げたロズベルグはタイヤの消耗したマンセルを一気に引き離し、厳しい暑さ、難しい路面と延々2時間戦いながらついにチェッカーを受け優勝、第2期ホンダF1復活の1ページを開いたのだ。

補足 ケケ・ロズベルグはフィンランド出身で現在ではミカ・ハッキネンの後ろ盾となっている人物です。

参考資料 アラン・ヘンリー グランプリ名戦譜

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Scene44 サーキットの香り

カートは100cc2サイクルエンジンなので走行前にガソリンにオイルを混ぜた混合燃料を給油して走ります。このため走行開始や低速走行を続けるローリングなど全開走行以外ではマフラーから白煙がでます。レースのスタート時には多くのマシンが一斉に加速するためにコースには独特の香りに包まれます。

マフラーから出ている煙はまぎれもなく排気ガス≠ネのですが、どことなく甘いような香りで私は嫌な匂いとは思いません。ガソリンスタンドの匂いも嫌いではない私は少し変≠ネのかもしれませんが、どうやら私と同じような人が世の中には結構いるようです。

カートコースには独特の匂いがあります。ピットはオイルやガソリンの匂いが漂っているのはもちろんですが、コース周辺の環境(空気)が心地よい気分にしてくれるというのもあるのかもしれません。私の場合、日頃夜ふかしばかりで朝の空気を吸っていない不健康な生活が大きな原因でもあります。

レース日の朝は嵐の前の静けさ≠ニ張り詰めた緊張感≠感じます。カートコース以外のサーキットではこのピットの雰囲気を感じることは簡単には出来ません。これは安全面などの理由があるので無理もないのですが…言葉は悪いかもしれませんが出場者と観客がそれぞれ隔離されていると感じます。

カートの場合、自分がレースに出ていなくてもお世話になっているショップの応援に行けば気軽にピットを訪ねることが出来ます。(パスがないとピットエリアに入れないレースもあります) これからカートを始めようと思っている方はピットエリアに行きにくいかもしれませんが観戦場所からでもピットの雰囲気は感じることができると思います。

レース前、レース中、レース後のドライバーやピットクルーの表情は様々でレースに一喜一憂しています。

番外編

サーキットに関連して「鈴鹿サーキット」のエピソードを記します。富士スピードウェイでF1が開催された後、長いブランクを経て鈴鹿でF1を開催するに当り「鈴鹿サーキット」は沢山の問題を解決しなければなりませんでした。その最たるものはコースそのものの改修で路面、縁石、ランオフの整備、タイヤバリアの増設などで他にも運営施設の改修などに多額の費用をかけ取り組み再び日本でF1が開催されたのです。

収益という面から見れば改修にかかった費用を取り戻すほどの収益があったとは思えません。「鈴鹿サーキット」の面子にかけて成し遂げた一大事業であったと思います。それは本田宗一郎氏の思想と哲学に則って進められたのではないかと思われます。

レーシングコースはレースの舞台を提供するために私達の見えないところで様々な努力をしながら存在しているのです。

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Scene45 緊張の素は?

カートやモータースポーツをされている方は初走行や初レースのことを憶えているでしょうか?初めてマシンに乗って走行した時やレースにエントリーした時などは心臓はドキドキ∞のどはカラカラ≠っという間に1日が過ぎていたのではないでしょうか。

4月は進学や就職で環境が変わる時期で新しいスタートを切った方も多いと思います。これからの生活の舞台となる教室や職場で初対面の人々と出会いドキドキすることも多いのではと思います。進学や就職という日常生活の中で環境変化が起こった時、私達は緊張します。

過度の緊張は身体と精神に影響を与えます。心臓がドキドキしたり額や手に汗をかいたりします。また必要な判断が遅れたり筋肉が硬直して体を適切に動かすことが出来ないというようなことが起こります。

カートに限らずスポーツは1/1000秒を短縮するために体力・知力・精神力を駆使し全身全霊をかけて走ります。体力は日々のトレーニングで鍛え向上させることができます。知力は知識を記憶し駆使するというトレーニングで向上します。さて精神力はどのように鍛えるのでしょうか?

精神力は環境変化による緊張体験を重ねることで緊張の度合いが低減されると思います。それは(表現が大袈裟かもしれませんが)未知の恐怖からくる不安が少なくなるからだと思います。また未体験であってもイメージトレーニングや先輩のアドバイスが不安を解消し緊張がほぐれることもあります。

適度な緊張感は精神集中の助けになると思います。そのためにはリラックスすることも大切で時間に追われるような状態では冷静さを失いやすく、つまらいミスを犯したりします。リラックスと集中のバランスをコントロールすることができればタイトラ、予選ヒート、決勝ヒートを戦っても疲労の蓄積が少なくてすむと思われます。方法は人によって様々だと思いますがリラックスを心がけることは大切です。

モータースポーツは抜かりなく準備しても突発的なトラブルが起こることも珍しくありません。そのような場面でどのようにトラブルに対処することができるかもドライバーとチームの実力のひとつとなります。

追記

メンタルトレーニングについてのHP 「高妻先生のメンタルトレーニング」http://www.webleague.net/mental/mental01.html

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