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ひとり言 バックナンバー 8 |
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Contents Scene36 快感に浸る Scene37 2輪ライダーの適性 Scene38 ドライバーを支援した人(1) Scene39 ドライバーを支援した人(2) Scene40 企業スポンサー |
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Scene36 快感に浸る |
人間は楽しい事が大好きで ♪一度覚えたあの味は♪ ずっと忘れられないものです。子供はハイハイの頃から身体を速く動かせばより速く移動できる≠アとを体感します。それまでの速度より速く進むことで周りの景色が別の世界に変わったような感覚=iScene5に関連記事)が面白く、歩けるようになればこんどはあたりかまわず走りまわり挙句の果てには転んだり壁にぶつかってワンワン泣きますがそれでも楽しいからまた走ります。すべり台を滑ったり自転車に乗るころにはスピードは快感≠ニなってバイク・車への興味につながってゆきます。
初めてカートに乗った人の多くがそのスピード感に驚いてカートの虜になってしまいます。しかし、なかには「思っていたよりスゴイと感じなかった」という人もいます。私の知る限りではレンタルカートに乗った人からそのような感想を聞くことが多いです。レンタルカートの場合、不特定多数が利用するためエンジンの出力や特性が押さえてあることに加えタイヤが新品であることは滅多にありません。レンタルカートではパワーやスピードではなくカートの目線≠竍ハンドルのダイレクト感≠ネどを手軽に体験出来るものだと思ってください。
人間は物事に集中し興奮状態になると脳から麻薬的な物質が出るのだそうです。今までには体験できなかった充実感をカート(レース)で感じたその時がカート版脳内麻薬中毒者≠フ仲間入りの瞬間でしょう。普段の生活で何か刺激を求めている人や今まで何かに熱くなる≠アとを忘れていた(なかには全然無かった)という人はあの興奮をもう一度味わいたくなりサーキットに通ってしまうのではないでしょうか。
またカートで走っていると誰かが見てくれているという気持ち(注目されたい欲求)が満たされると思います。とくにレースのときは順位に関係無く大勢に注目されます。いい成績でステップアップを狙っているバリバリレーサーの人は上位を走って注目されますし、走り以外で個性を主張してサーキットやレースを盛り上げることの上手い人もいて観戦しているこちらも楽しいです。ときにはクラッシュで予想外に目立ってしまうこともありますが順位に関係なく誰かがあなたに注目しています。
カートで己の情熱を燃やすのもいいでしょう、いい運動にもなりますから心も身体も熱くなれます。また服を着飾って街で注目される様にマシンとレーシングスーツをビシッと決めてサーキットで注目されるのも有りだと思います。景気低迷の影響もあってここ数年カート人口が増えているとは感じません。いろいろな人が沢山サーキットに集まってカートがもっと盛り上がってほしいと思います。
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Scene37 2輪ライダーの適性 |
カートが初めてのモータースポーツ≠ニいう方も多いと思いますが、なかには様々なモータースポーツ経験をされた後カートを始めた方もいます。今回はオートバイ(以降バイク)でモータースポーツをスタート、その後(カートを含む)4輪へというドライバーについて考えたいと思います。
高橋国光、星野一義など有名ドライバーのモータースポーツ出発点もオートバイです。両氏とも2輪ライダーとして成功した後、4輪に転向し再び大活躍しています。このことから考えるとカートでもバイクを経験していると何かいいことがあるのではと考えてしまいます。
カートで初心者の方がよく注意される点にコーナーの突っ込みすぎ≠ェあります。コーナーの突っ込みすぎ≠ヘコーナースピードを稼ごうとして高い速度でコーナーの奥まで進みそこからアクセルオンするために次のコーナーまでの立ちあがり加速と次のコーナーへの到達最高速度が遅くなってしまうことをいいます。運転免許を持っていてマイカーでのコーナリングの癖が出て突っ込みすぎ≠ノなっている方もいるようです。練習走行で「スローイン・ファストアウト」は最初のテーマかもしれません。
バイクのコーナリングを見ているとブレーキングはエンジンブレーキを併用して短距離で減速、ラインに沿って丁寧にアクセルを開けてゆきます。当然、ライバルより短距離で減速しライバルより少しでも早くアクセルを開けて次のコーナーまでの最高速を狙います。カートでも立ちあがり重視≠目指すことに変わりはないのですがバイクの方が積極的に体重移動も使うからか一連の動作がカートに比べると滑らかに見えます。
バイク経験のあるカートドライバーはカート初心者のうちからコーナーの突っ込みすぎ≠ノ注意したドライビングが出来ている方が多いのではないかと思います。
また、カートや4輪ではタイヤがスライド(ドリフト)することやハンドルを進行方向と逆にきってマシンをコントロールするカウンターステアもテクニックとして有り≠ナすが、バイクの場合結果、スライドやカウンターをすることはあってもそれが速さにつながる有効なテクニックとは言えません。(カウンターあてまくりのダートトラックは除く)
カートコースではオートバイと時間交代でコースを共用しているところもあります。バイク走行時間にバイクの走りをじっくり見て研究してみると発見があるかもしれません。
最後に、2輪ライダーの中野真矢選手のHPでカートをドライブしているレポートを見ることができます。「カートの時間」でおなじみの小野尾司さんがコーチとして登場しています。この中で「中野選手の上達がとても早い」とのコメントもあり、やはり2輪ライダーはカートに乗り換えても経験をいかせるのではないかと思いました。
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Scene38 ドライバーを支援した人―中嶋悟のたどった道 |
カートがいくら少ないお金で始められると言っても実際には何十万円かのお金を用意してスタートした方が大半だと思います。また、購入した後は走行するたびにかかる費用(ランニングコスト)もバカにできません。資金と楽しみ方のバランスを失うとカートが苦しみの元になる危険性もあります。
今回はF1ドライバーとして活躍後、現在はPIAAナカジマレーシングの監督としてモータースポーツを支えている中嶋悟さんのF1デビュー前に残された数々の逸話の中からレーシングドライバー中嶋悟≠ニ彼を支えた人々について書きたいと思います。内容については過去の資料やインタビューを参考にしていますが、他人から伝え聞いたものもあるのですべてが真実かは定かではありません。その点はご容赦ください。
愛知県岡崎市でガソリンスタンドを経営する家に生まれた中嶋少年は、小学生の頃から父親のバイクで走りまわり16歳の頃からカートを始める。関東のコースへも遠征していた中嶋少年は兄と交代で東名高速を運転していたという。(カートでの成績は資料不足で不明)18歳になると同時にフェアレディーZを購入、一年間で6万キロを走破し四輪車のドライビングをマスターした。本格的にレース活動をするために中嶋青年は碧南マツダの田中梅夫氏にレース活動の支援を要請。その時、田中氏は「なんとなくだが、コイツの言うことは信用できると感じた。それぐらい真剣だったし、ものを考えていた」と述べている。そして中嶋青年に対し田中氏は「私は(レース活動は)素人ですが、やるだけのことはやります」と約束したのだった。
この田中氏との出会いの中で中嶋青年がどのように熱意を伝えたのかはわかりませんが、カート以外レース実績のない青年が熱心に支援をお願いし田中氏の心を動かしたことは事実です。一年間で6万キロを走破した自信がその背景にあると思います。
中嶋選手は田中氏とともに数々のレースに参戦。田中氏の期待を裏切ることなく成績を残していった。成績は決して悪くなかったがプライベート参戦の中嶋選手の前にはいつもワークス勢がいた。74年8月14日「富士500」でのエピソード。このレースではいくつかのレギュレーション変更があり中嶋選手のマシンは車検を通らず最後尾(31番グリッド)スタートを通告された。スタート前に田中氏がグリッドを見るとポールのワークスマシンも中嶋選手と同じレギュレーション違反であることを発見。田中氏は技術委員長に強く抗議したがスタート時間もずれ込み開催委員から「田中さん頼む。今回だけはこのままスタートさせてくれ」と懇願され、田中氏も渋々スタートを承諾。田中氏は言った「いいよ、僕らは速いから必ず入賞する」と。レースでは中嶋選手が驚異の速さで29台を抜き2位となった。
ワークス勢とのエピソードにはこんなものもあった。中嶋選手がワークスマシンとトップ争いを展開、サイド・バイ・サイドの激しいレースをしていると中嶋選手のピットにワークスの代表が「中嶋を退かせろ」と言ってきた。これを聞いた田中氏は「何を言っとる。レースは結果だ。ワークスだろうがプライベートだろうが関係ない。どっちが速いかの競争だ。わしらは絶対に退かないからな」と要求をはねつけピットから中嶋選手に↑(スピードアップ)のボードを提示した。結果、中嶋選手は2位だった。腕の差は一枚も二枚も上だったがワークスとの物の差≠ナ勝つことが出来なかったのだ。中嶋選手はインタビューの中で田中梅夫氏について「ファミリアでレースしていた頃オヤジさん(田中氏)がなぜか俺のことを気に入ってくれてある時払いでいいから≠ニ800万円貸してくれた。この人は打算のない人だし、本当にありがたかった」と語っている。
このようなエピソードを重ねるうちに田中氏と中嶋選手との心の絆はより強くなったと思われる。「三河から来た田舎者の意地」が彼らを強くしていたのかもしれない。
次回も中嶋選手を支えた人(2)をお届けする予定です。
参考資料 GPX連載 「走る人生」中嶋悟20年の軌跡 文=一志治夫
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Scene39 ドライバーを支援した人(2)―中嶋悟のたどった道 |
F1ドライバーとして活躍後、現在はPIAAナカジマレーシングの監督としてモータースポーツを支えている中嶋悟さんのF1デビュー前に残された数々の逸話の中からレーシングドライバー中嶋悟≠ニ彼を支えた人々についての第2回です。内容については過去の資料やインタビューを参考にしていますが、他人から伝え聞いたものもあるのですべてが真実かは定かではありません。その点はご容赦ください。
中嶋選手にレース断念の危機が訪れました。1976年、レース資金が無くチームから放出されるという事態に至ったのです。このとき中嶋選手には5000万円を超える借金があったといいます。その時、中嶋選手に目をつけてシートを与えたのがエンジン・チューンで有名な松浦賢氏でした。
富士と鈴鹿の対立からレギュラードライバーを鈴鹿のレースに出場させることが出来なくなった各エントラントは、若手ドライバーを起用して鈴鹿にエントリーせざるをえなかった という不思議なめぐりあわせから中嶋選手に白羽の矢がたったのです。
このチャンスに中嶋選手は4位入賞、その役目を果たし一定の評価を得ることは出来ましたが翌年のシートを約束された訳ではありませんでした。しかし、松浦氏の脳裏に強烈な印象を残した中嶋選手は翌77年松浦氏の後押しでFJ1600(ノバエンジニアリング)とF2(ヒーローズR)にエントリー、年間23レースに出場というハードスケジュールをこなし、FJ1600は7戦7勝でシリーズチャンピオンを獲得。
ここでも中嶋選手は「中嶋は必ずいいドライバーになる」という松浦氏の期待に結果で応えています。またFJ1600のエンジンがホンダだったことはその後ホンダとの関係が生まれるひとつの要因になったと考えられます。
78年 ヒーローズのファーストドライバーは星野一義。星野・中嶋両選手は毎レースデッドヒートを繰り広げる。この年イギリスF3参戦でヨーロッパを知った中嶋選手の心はF1に向って行く。79年にはF1の可能性に賭けて生沢徹のチームに移籍。
生沢徹氏は1966年からイギリスに渡り、その後8年間海外でレース活動を続け優勝も記録している海外レースのパイオニアである。「いつかはF1」を心に期す生沢氏が「中嶋はクルマのコントロールが抜群によかったし誰よりも一番輝いていた」と語ったことからわかるとおり、中嶋選手を口説き落とす形でチームに迎え入れる。
この年から中嶋選手は再びホンダエンジンで戦いホンダとのコネクションがさらに強くなる。生沢氏と中嶋選手は心の底から言いたいことの言える関係を築いたが、4年間在籍するもF1への道は思うように開けなかった。
翌83年、F1への道を自分で切り開くため中嶋企画≠設立。前年チャンピオンの肩書きと多額の移籍金を手にしながらも資金的にはどん底であった。しかし、この年にも良い出会いがあった。中嶋企画$ン立にあたり当時雑誌編集者であった福田直道氏がマネージャーとなり、EPSONが中嶋選手のスポンサーとなったのだ。「エプソンさんはとにかくじっと我慢してくれた」と福田氏は語る。その後もEPSONはレース活動に一切口を挟まずドライバーをそっと見守る姿勢を貫き通す。
84年レース成績はよかったが、金銭的にはEPSON以外に大きな支援はなく苦しい状態が続いたようだ。予算の不足分は中嶋選手がレースで稼いでくる他に方法がなかった。中嶋選手は84.85.86年と3年連続F2のチャンピオンを獲得。86年途中に翌年からのF1参戦≠ェ発表になった。
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様々な人たちが中嶋選手を無名のころから信頼し支援してきました。中嶋選手もその信頼に結果で応えることによって人との絆が深まったことをエピソードから感じとっていただけたでしょうか。
どこの誰かも知らなかった人間同士から信頼≠ニか友情℃桙ノ愛情≠生み出すことはとても難しいことです。しかし、人は誰にでもめぐり合わせ≠ニいうものがあるようで、どこかしらでチャンスに出会うことがあるようです。皆さんもこの自分と波長の合う人≠ニどこかで出会っているかもしれません。しかし、出会ってもその芽を知らずにつぶしてしまうことも多いのだと思います。
カートをしていれば知らない方に話しかけられることもあると思いますが人の縁≠ニかめぐり合わせ≠ェあると思えば人に対して無礼な態度はできないと思います。逆に下心を持って人と接していては本当のパートナー≠ノは出会えないのではないかとも思います。レース活動することはあなたを助けてくれる人を探す旅≠ゥもしれませんね。
参考資料 GPX連載 「走る人生」中嶋悟20年の軌跡 文=一志治夫
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Scene40 企業スポンサー |
今回は全日本や四輪へステップアップしてゆく過程で欠かせないスポンサーについて考えます。趣味でカートをしている方は自分のおこずかいの範囲でカートを楽しんでいる方が多いのでスポンサーについては縁遠いかもしれません。スポンサーに限らず他人に何かお願いする時♂スかの役にたてばいいなと思いテーマにしてみました。
企業はなぜレースを支援するのか?
走る広告塔≠ニいう言葉を聞いた人も多いと思います。F1を見れば明らかなようにマシンやレーシングスーツには様々な企業のステッカーやワッペンが貼られています。企業がレースにお金を出している1番の理由は自社のロゴがメディアを通して露出することで宣伝になるからです。活躍するドライバーやマシンがTV、雑誌に映れば多くの人の目にとまり認知度が上がるから企業はお金を出すのです。逆にメディアに登場しても宣伝にならないと企業が判断した場合その企業からの支援は難しいと思います。
私達が支援をお願いするとき親、兄弟、親戚≠フ次に思い浮かぶのは自分が勤めている会社の社長さんではないでしょうか?モータースポーツに理解のある社長さんなら何らかの応援を形にしていただける可能性が高いと思いますが、この場合企業から支援されたというよりも社長さんのポケットマネーであることが多く、あくまでもパーソナルスポンサーシップの場合が多いと思います。
よく見かけるのは自動車関連企業やカート関連企業がカートコースで宣伝効果ありと判断し(主に自社取り扱い品を)支援してくれる場合が考えられます。過去サポートの経験を持つ企業にはとりあえずこちらの話を聞いてもらえる♂コ地があるのでチャンスもつかみやすい方だと思います。また、企業側で何らかのガイドラインを用意している場合もあり、ドライバーはその条件に沿ってレース活動をしてゆくことになると思います。
未知の企業との交渉
初対面の人間にいきなりお金を出してくれる企業(人)にめぐりあえる確率は非常に低く難しいと思います。まず必要なのは企業の広報や担当部署の方との面会の約束(アポイントメント)をとることから始まります。第2に自分が何物であるか、何をしに来たのかということが解かる名刺代わりとなる企画書≠ヘ欠かせません。第3は企業内での決裁を頂くために趣旨説明と提案(プレゼンテーション)を行うことも考えに入れなければなりません。ドライバーの気持ちとスポンサーの気持ちにはズレがあります。レースのことを何も知らない人たち≠ノ解かるように話し個人的信用と人間性を知ってもらい説得しなければなりません。
企業が求める形
幸運にも企業からの支援を約束された場合、大きな責任と義務が生まれます。資金提供の場合、お金の使い道はすべて記録して領収書は欠かせません。レースの活動報告書提出はもちろんのこと企業を宣伝した記録・統計などを書面にまとめることも必要になると思います。お金をどのように使ったのか税務署に尋ねられて堂々と答えられる形を企業は求めているのです。
MTCIという企業
2000年モータースポーツ界で話題になっているのがMTCIというインターネット接続業者です。MTCIはネット関連ベンチャー企業でその将来性から多くの投資を集め資本がうなぎ登りに増え急成長しています。今季スポンサードするチームはベネトン(F1)、デイル・コインR(CART)、TOM'S(F3)やJGTCにも名を連ねるようです。また報道によると今後単なるスポンサーとしてではなくレーシングチームとして組織化を推進中とのことです。
●レーシングドライバーには裕福で余計な苦労をせずにステップアップする人も確かにいます。しかし、モータースポーツが好きで苦労をいとわず様々なことをこなしながらレースしている人もいます。私は頑張っている人が大好きです。
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